| |
コシヒカリは、昭和19年に新潟農業試験場で農林1号と農林22号を交配したモミの中から選び出されて誕生しました。その時のあまり知られていない事実をご紹介します。
新品種の計画 農林1号は寒さに強く収量も多い特徴を持ち、農林22号は病気に強く品質が良いという特徴をもつことから、その両方の特徴を備えた品種を誕生させようとしたわけです。
モミの選択 収穫されたモミは、両親が同じでもいろいろな個性、特徴を持っていますので、人間に好都合な特徴をもつモミを選び出す作業が繰り返されます。 コシヒカリの場合は、昭和23年から福井農業試験場に場所をかえて育てられることになりますが、その時に新潟から福井に引き継がれたモミの数は、わずか数十粒でした。この中の一粒にコシヒカリとして選び抜かれるモミが含まれていたのです。
大地震 ところがここで、コシヒカリに大変なことが起こります。昭和23年6月28日の夕方、福井地方を襲った大地震です。町じゅう大きな被害が発生し、試験場の水田も噴出した泥水で埋没するなど大変な被害が出ましたが、コシヒカリが植えつけられた試験田は被害を免れたのです。 もし、他の田んぼに植えつけられていたなら、コシヒカリが存在しないわけです。
新潟生まれのひと粒のモミがコシヒカリの名前で正式にデビューしたのは昭和31年です。新潟で生まれてから12年の歳月が過ぎていますので、新しい品種を作り出すことの大変さがわかります。
このように多くの人たちの努力で誕生したコシヒカリですが、茎が長く倒れ易いことや、いもち病に弱いことなどから、農家の栽培が増えない時期が続きますが、新潟の人たちが栽培方法をいろいろ工夫し、新潟米を代表する品種に育てました。
現在ではこのコシヒカリのおいしさが人気を呼び、全国で生産されるお米の約30パーセントを占めています。 新潟で生まれたコシヒカリは、還暦(60歳)を迎えた今でも日本一おいしいお米の横綱として活躍しているのです。
|
|